一昨日、
険悪ムードが漂った<オヤジ塾>であったが、
本日は一時休戦・・・。
今日は、
親父の母(息子の祖母)の
17回忌の法要が菩提寺であるK市のお寺で営まれた・・・。
父もいない今は、
親父が中心となって親戚に連絡して集まってもらった・・・
親戚と言っても、
姉、妹、弟、叔父、叔母、従弟などの家族十数名ばかりであったが・・・。
母(親父は母のことを、リリー・フランキーさんと同様に「
オカン」と呼んでいた・・・)は
平成2年の11月16日に亡くなった・・・。享年
55歳・・・親父が32歳の時だった・・・。
当時、
娘は2歳、息子はカミさんのお腹の中にいて
6ケ月目を迎えようとしていた・・・。
親父たち一家は、H市郊外の夜帰っても朝に帰ると読める区に住んでいた(
朝帰宅・・・)。
同年
10月18日の朝、父から電話が入った・・・。
カミさんと娘を車に乗せてすぐさまK市の総合病院へと向かった・・・。
「
くも膜下出血」の最悪の状態で、
集中治療室にオカンはいた・・・。
親父は全身の力が抜け、その場にへたり込んだのを覚えている・・・。
父が出勤前に植木に水をやっていた時は、
オカンは鼻歌を歌いながら風呂掃除をしていたらしい・・・
突然鼻歌が止まったのを怪訝した父が風呂場を覗くと、オカンが倒れていた・・・。
父は公務員であったが、職位が上がる事務職を嫌い、
生涯現場にこだわった職人気質・・・。
なので、
決して裕福とは言えない経済事情の中、家政婦などのパートをしながら
子ども4人の面倒と、
舅と
自分の父親の面倒も見ていた
オカン・・・。
身長140cmにも満たなかった小さなオカンであったが、
誰よりも遅く寝てそして誰よりも早く起きて、働いて家事をして、
姉と親父の二人を学費の高い私立大学まで進学させてくれた・・・。
学生時代親不孝をし続けた親父も、家庭を持ち
二人目の子どもの父になろうとしていた・・・。
この辺で親孝行せんといけんな・・・今度、父とオカンに温泉旅行でもプレゼントしようか・・・とカミさんと話をしていた矢先であった・・・。
結局、オカンは脳以外の
他の臓器は健康そのもので、
脳死状態が1ケ月ほど続いた・・・。
親父たちはその1ケ月間は実家に居を移し、
昼間は姉と叔母が
オカンのそばに寄り添い、
夜中は父と妹がそうした・・・。
親父もH市の職場から、仕事が終わると病院に寄って、
オカンの寝ているような顔を見て
奇跡を念じ続けた・・・。
そうして
同年11月16日未明・・・
オカンは逝った・・・。
職人気質で無口で愛想の一つもなかった父が、
人目もはばからず声を上げて泣いたことを、親父は今でも覚えている・・・。
その父も逝って3年・・・。
息子は、
顔も知らない祖母の法要に出かけることを嫌った・・・。
「15日に実力テストがあるのに・・・」(息子)
「ええけぇ・・・今日は来い!!」普段みせない親父の語気の強さに気圧されたか、息子も渋々出かけた・・・。
娘が大学の授業の関係で帰省できなかったのが残念であったが・・・。
一通りの法要の儀式が終わり、宴席となったのであるが、この頃から
息子の顔つきが変わってきていた・・・。
オカンの思い出話で思わず涙する親父・・・
放蕩の限りを尽くしてきた親父に姉が皮肉を言う・・・神戸から帰って来てくれた
弟の近況を聞く・・・3人の子育て真っ只中の
妹の奮闘・・・それらを
傍らで見聞きしている息子・・・。
帰りの車の中で、「
オレ、志望校を固めたけん・・・。」
ぼそっと息子が言い放った・・・親父はそれがどこであるのかは
敢えて聞かなかった・・・。
「お前が決めた志望校なら、そこへ向かって今から
全力で進んでいけえや・・・」
「・・・分かっとる・・・。」
帰宅後、親父は日頃の不摂生がたたり、2時間ほど爆睡・・・。
目覚めたら午後6時・・・。
午後6時半すぎには夕食を済ませた・・・。
「塾せんのん・・・?」(息子)
ゲッ・・・!正直、親父はこのまま「歌ワラ」を観て「行列のできる法律相談所」を観て・・・「スタメン」を観て・・・と思っていたのだが・・・。
午後7時<オヤジ塾>スタート・・・。
「何がしたいんな・・・?」(親父)
「数学・・・」(息子)
ゲッ・・・!親父は晩酌を済ませている・・・しかし、
顧客の要望にはオンデマンドで応えなければならない・・・。
平行四辺形の合同条件は・・・
①2組の向かい合う合う辺がそれぞれ平行である
②・・・
またまたまた、ここで力尽きてしまった・・・。
今回は、親父のとりとめのないお話にお付き合いいただきまして、誠に有り難うございます・・・。
ついでに、↓をクリックしていただけますと・・・
重ねて御礼申し上げます・・・。m(--)m