昨夜は自主学習とした<オヤジ塾>であったが、課題を出しておいた。
その課題を今夜チェックすることにした。
1-2年範囲の数学であるが、計算問題はこれといったミスもなくクリアしていたが(基本問題なので、できて当たり前なのだが・・・)、文章題はできていないというより、手すら付けていないままの空欄解答・・・。
「お前これ何も考えとらんじゃろ?」
「
考えたけど分からんのじゃもん・・・」
(明らかに言い訳である。ただ面倒臭かっただけなのである)
仕方がないので説明することにした。図を書いた途端「あっ・・・分かった。」
親父も相当の面倒臭がりであるが、息子は親父の上を行く
横着者である。
「今度から空欄にしとったらこらえんど・・・。」
と一喝(たぶん息子には馬の耳に念仏であろうが・・・)。
続いて同じく自習させておいた社会。
「確認テストするど・・・」
「えっ聞いとらんし・・・」
「言うとらんし。じゃが社会を勉強したかどうかは、確認テストせんにゃ分からんじゃないか」
確認テストするもまるっきり歯が立たず・・・。
「昨日、ほんまにやったんか?」と疑う親父。
「ちゃんとやっとるけんね」とまとめノートを見せる息子・・・。
『でたぁ~!パァー!!』(ますだおかだ)
ノートにまとめたら勉強したものだと思っている・・・。
飛び込み訪問を100件したら仕事をしたと勘違いしている営業マンと同じである。
ノートにまとめたと言う努力のプロセスは認めるが、そのプロセスの結果を出さないと自己満足だけで終わってしまう。
プロセスはもちろん大切で軽んじては決していけない。しかし、結果が伴わないと、そのプロセス自体を見直していかなくてはならない。
100件の飛び込み訪問をした。しかし、成約結果は0件であった・・・。査定は0である。
飛び込み先の地域・業種などのターゲットを絞り込むとか、それこそ
訪問した瞬間に鞄の中身をわざとぶちまけて関心を引き付けるとか、フォローのTELコールをするとか、何らかの工夫が必要である。
「ただやりましたっ!!」って、元気いっぱいに報告だけしたのでは意味をなさないのが現実社会というものである(ただ理解があるように見せかけたい上司にとってはこういうのが受けが良い・・)。
「ええか、勉強した言うんなら、その結果を数字で証明してくれんにゃ意味がないんで」
「・・・?」
何ならノルマを課してやろうか・・・!
ってノルマの意味も分からんじゃう・・・。