数日後、3日連続で発表である。法学部は当然×、文学部×、もう3日目の教育学部しかない。発表会場に行く前に、東京で
奇跡的に出会った同級生と出くわした。
彼はM大の法学部は×で、当時女子受験生に人気が高く、後にJALパックと呼ばれるようになったJ大の法学部に合格していた。(偏差値はJ大のほうが高かったのだが、試験はある意味運もあるようだ)W大は私と同じでいままで全滅とのこと。
彼も教育学部の手ごたえはかなりあったようで、二人とも合格後のことを話しながら歩いた。彼はW大の教育学部よりはJ大の法学部に決めているようである。
「○○(私の姓)もM大の法学部の方がええんじゃないか。法学部のほうが、つぶしが効くで」(親と同じことを言う。多分彼も両親からそう言われていたのであろう)
2人ともまだ合格発表を見ていないのに、当然合格していることを前提に話していた。
発表会場に到着した。受験番号を探した。何度も何度も見返した。自分の受験番号がない。他学部の受験票かも知れないと確かめたが、教育学部である。
隣にいる同級生も同じことをしていた。2人とも落ちた。数分前までのお気楽な会話は現実を前に茶番となった。
「どうせオレは受かっても行かんつもりじゃったけえ、別に落ちてもええけど、口惜しいのう」くやしいのは私のほうである。現役の時もそうだったが、教育学部の問題は取り組みやすかった。したがって、合格のボーダーラインのハードルが高かったのだろう。
1-2問の失点で合否が分かれたのだ。つまり、またしても自分の詰めが甘かったということ。