私がW大を志望した本当の理由は、作家に憧れたからである。前の
日記にもちょこっと書いたが、私は見かけによらない本好きであった(決して文学青年ではなく単なる本読みであったのだが、この辺が国語の得点のツボになっていたのかも知れない)石川達三から野坂昭如、そして五木寛之にはまった。本屋に並べられてある五木寛之の文庫本を買っては読み、買っては読みしていた(なのに今は「日経ビジネスプレス」は
ビニ本化している)。
また、当時「週刊プレイボーイ」に連載されていた富島健夫の「W大の阿呆たち」で完全にW大に心を奪われてしまった。「W大に行けばたくさんの女性とあんなこと、こんなことできるんじゃ・・・(妄)」動機は完全に不純なものに変わってしまった。
しかし、好きな作家の共通項はW大である(卒業、中退、学部など不問にして・・・中退が多かった。大学中退→編集者かコピーライター→作家というのにも憧れた)。純粋に後輩になりたい、同じ道を歩きたいと思うようになっていた。
私の勉強方法は人と違っていて完全夜型であった。学校から帰るとすぐ寝た。そして、家族が寝るころの10時頃に起きて、食事して風呂に入って、それから勉強してそのまま学校へ行っていた(家庭環境が少し複雑だったので、落ち着いて勉強ができる環境になかったのだ・・・当時は4Kくらいの間取りの家に7人が生活していた)。相変わらず、バスに乗る前にセブンスターを買って・・・。
世界史は「世界史1000題」という問題集を中心に解いていき、間違ったところを参考書で調べて覚え直す作業を繰り返した。この科目は、特に私大は要注意で、微に入り細に至るまで覚え込まなくてはならない。難関校と言われるほどこの傾向が高かった。重箱の隅をつつく問題が目白押しだった(おかげさまでテレビのクイズ番組でこのジャンルの問題が出題されると私が真っ先に答えて家族の尊敬?の眼差しを受けている)。
英語も同じような問題集を買い込み、主に文法問題を中心にして勉強していた。勿論、当時のベストセラーブック
「試験に出る英単語」、「試験に出る英熟語」(懐かしい)は必携であった。当時はマークシート形式ではなく記述が主流。選択、空欄穴埋め、並べ替え、和文英訳、英文和訳などが出題の主流であった。英訳も和訳も私は比較的得意であった。特に和訳は、少々分からない単語があっても前後の文脈で判断できた。したがって文法中心に勉強していった。
国語は古典単語の暗記の他は、現代文の問題集を解き続けた。国語がポイントゲッターになるか足を引っ張るか、明暗を左右する科目であると判断。古文、漢文はわりと暗記で勝負できる。暗記は得意だったので、やはり波の激しい現代文を安定させなければならない。今はもう忘れてしまったが、現代文の問題集の伝説があって、それをやっておけば現代文は良しと言えるような問題集であった。その問題集を解くことに集中した。