専門学校に行こうという決意は、担任の助言でいとも簡単に覆った。しかも、東京での浪人を親が容認してくれた(つくづくバカ息子である)。「地元で浪人しても、遊びほうけて勉強しないであろう。だったら東京で一人にさせて勉強に集中させてW大に進学してもらおう。」これが親の思いであったろう。
もっとも、先の
ブログで記したように、私の家はおよそ受験生が落ち着いて勉強に専念できる環境ではなかったのも確かであったが・・・(言い訳・・・?)。
「親の心、子知らず」・・・親になって真に心に響く言葉である。人生因果応報。自分の罪滅ぼしで「オヤジ塾」をやっているのかも知れないと今思った。当初はそう思わなかった。
ただ、今の絶対評価の内申書重視の高校受験制度の下では、過去3回も暴力事件を引き起こした息子の受験校の選択肢は狭められてしまう。だったら、実力をつけさせて、絶対評価に対して敢然と立ち向かおうと言うのが「オヤジ塾」発足の動機であった。
今このブログを書きながら、「今はなき私の両親に対する、私自身のための罪滅ぼし」の行動ではないかと感じはじめた。決して経済的に豊かであったと言えない中で子供4人を育て、しかも私の自分勝手な思いだけで「東京での浪人生活」を許してくれた両親。
それは、私に対する期待もあったろうし、子の夢を叶えさせてやろうという親心でもあったろう。その思いを私はことごとく裏切ってきた。中学生の頃から話しをしなくなった父親から絶縁状が届いたのは、私が大学3年生の時である(この件はまた後ほど・・・)。
1回目の暴力事件で、もう2度と暴力は振るわないと誓った息子。それなのにその後2回も暴力事件を起こしたダメ息子。親の気持ちを2回も裏切った息子と私がダブる。
私のように育ててはいけんぞ!という両親からのメッセージが「オヤジ塾」を開かせたようにも感じる(のは大袈裟だろうか?)。